文学の香りが色濃く漂う「雑司ヶ谷霊園」

雑司が谷。

その名の由来は、南北朝時代に宮中の雑司職の者が職を辞した後で住みつき、その後も子孫が住んでいたためと、江戸名所記に書かれている。

江戸時代には、享保年間のはじめ、徳川八代将軍「吉宗」の鷹狩場があった場所としても有名。
そこは御鷹部屋と呼ばれ、常時70~80名がおり、鷹の飼育や訓練が行われていた。
門前に茶屋がひしめく鬼子母神や護国寺など、雑司ヶ谷一帯は江戸の庶民が訪れる信仰空間が広がってたのだ。

その後、明治7年に東京市(当時)が買い上げ、共同墓地となり、「雑司ヶ谷霊園」の名が付いて、今に至っている。

この「雑司が谷」であるが、多くの文学作品に登場することでも名を馳せている。

夏目漱石の『こころ』では先生が毎月欠かさず墓参をする場所として「雑司ヶ谷霊園」が登場するし、芥川龍之介の『年末の一日』という短篇のなかでは、漱石の墓参りに「雑司ヶ谷霊園」に行くものの「いくら先へ行っても、先生のお墓は見当らなかった」と書かかれている。

平成に入ってからも、樋口毅宏の『さらば雑司ヶ谷』、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』など、雑司ヶ谷(霊園ではないが)が多くのミステリーの舞台ともなっている。

そんな文学の香りが色濃く漂う「雑司ヶ谷霊園」を訪ねてみよう。

雑司ケ谷霊園マップ

東京メトロ副都心線雑司が谷駅で下車。霊園管理所でマップ(ネットでも公開)をもらう。

メインストリートに面した漱石の墓は大きな安楽椅子の形をした堂々たる佇まいで、漱石と鏡子夫人の戒名が刻まれている。

美人画の竹久夢二の墓もすぐ近く。

東に進むと、中浜(ジョン)万次郎と洋画家・東郷青児の墓が隣り合っている。

霊園の北部エリアには、〈ふたりでみるとすべてのものは美しく見える〉と彫られた詩人サトウハチローや、〈見上げてごらん夜の星を〉と刻まれた作曲家いずみたくの墓碑。

さらには泉鏡花や自然石が見事な小泉八雲、東條英機、永井荷風の墓がある。
荷風は日記『断腸亭日乗』に「墓石建立亦無用なり」と書いていたが。